ONE LOVE ボブ・マーリーの真実 Vol.4

2024年07月02日

写真と文 石田昌隆

映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』でも、ボブ・マーリーがラスタファリアンであることが描かれていた。
ラスタファリアニズムという、思想、運動、あるいは宗教は、マーカス・ガーヴィーという、主に1910年代から20年代半ばにかけてアメリカで活躍したジャマイカ生まれの黒人解放運動家が、演説のなかで度々このような発言をしていたことがきっかけとなって生まれた。「アフリカを見よ。黒人の王が誕生するであろう。そのとき解放の日が訪れるのだ」
そして1930年、エチオピアで第111代皇帝にハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I)が即位した。彼の称号は“キング・オブ・キングス、ロード・オブ・ローズ、ユダヤ支族の獅子王陛下、神の選民”というものだった。このニュースを知ったジャマイカの黒人たちの間から、マーカス・ガーヴィーの予言が現実のものになったと受けとめる動きが出てきた。レナード・ハウエルをはじめとする街頭の説教師たちは、ハイレ・セラシエこそ真の黒人の王であり、ジャー(Jah 現人神)であると説いた。そしてハイレ・セラシエの幼少期の名がラス・タファリ・マコネン(Ras Tafari Makonnen)だったことから、自らをラスタファリアンと名乗るようになった。50年代になると、ハイレ・セラシエの肖像画を飾り、マリファナを吸引し、髪の毛をドレッドにするというラスタファリアンの独特なライフ・スタイルが確立された。
ラスタファリアンにはいくつかのグループがあり、ボブ・マーリーは、68年にキングストンで設立された12支族(Twelve Tribes of Israel)に所属していた。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの『Natty Dread』(74年)というアルバムがある。ナッティ・ドレッドとは、若きラスタファリアンという意味、この少年のような人のことだ。

1982年88日のことである。ブルーマウンテンの山中にあるラスタファリアンのコミューンで、ナイヤビンギという儀式をやるというので、相棒のジャマイカ人と一緒に訪ねていった。ハイエースのような乗り合いのミニバンに乗って、キングストンからブルーマウンテンを越えて北海岸に向かう道路、A3を走り、キャッスルトンから2マイル手前の何もない分かれ道のところで下車した。そこから目的地のコミューンまでは、ブルーマウンテンの奥深くへと歩いて2時間ほどの道のりだった。
なだらかな稜線の山々が連なるブルーマウンテンは別世界である。ジャマイカの黒人は、なぜか海よりも山のほうが好きな人が圧倒的に多い。外国人観光客は、モンティゴ・ベイやネグリルあたりのカリブ海の美しさに魅せられる人が多いが、ジャマイカ人には、ブルーマウンテンの森やオチョリオスに近いダンズ・リヴァーの滝のほうが人気がある。
コミューンまでまでの道のりは本当に美しかった。バナナがぎっしり入った大きなザルを頭の上に乗せた少女とすれ違った。相棒は、道すがら見つけたバスケットボール大のジャック・フルーツ(ドリアンみたいな果物)を、おみやげ用にもぎ取ったりした。これはそのときの写真だ。そして相棒は何度も同じこと言った。「エデンの園だぜ」と。
かなり歩いたところで、山間の川を渡った。そこからさらに歩いていくと、山の中からナイヤビンギ・ドラムの微かな響きが聴こえてきた。この日、夜を徹してナイヤビンギが行なわれることになっているのだ。ナイヤビンギというのは、ベース、フンデ、リピーターという3種類の太鼓で構成されるドラムによるビートに合わせてチャントする音楽であり、祈りでもある。最後のほうは急な山道になっていて、そこを登り詰めたところに、赤、黄、緑のラスタ・カラーに塗った塀で囲まれた山小屋のようなコミューンがあった。
相棒とぼくは、左手を胸に当てて「ラヴ」と挨拶する。すると「ワン・ラヴ」と返答されて、ぼくたちは中に招き入れられた。ここでは「ラヴ」という言葉が挨拶なのだ。ボブ・マーリーの名曲<One Love>は、ラスタファリアンの言葉なのだった。
コミューンの中には、すでに30人ぐらいのラスタファリアンが集まっていた。庭の中央でくすぶっていた焚き火で焼いていたブレッド・フルーツ、それからプラント(焼きバナナ)、アキーと野菜の炒め物、アボカドなど、典型的なアイタル・フードが用意されていて、ぼくたちも食事をいただくことになった。

ナイヤビンギの写真撮影は夕方のうちの短かい時間だけ許可された。日がとっぷり暮れてくると、焚き火が炎を上げるようになり、ナイヤビンギは、しだいに佳境に入っていく。庭の奥のほうに建てられていた丸い屋根の下で、ドレッドロックスが腰まで届くほど伸びた長老格のラスタマンが聖書の何節かを読み上げる。そして断続的に演っていた演奏が再び始まった。
ベースとフンデが1拍めと2拍めを打つ。「ドンドン——、ドンドン——…」
ふたりともまだ子供なのに驚くほど禁欲的な顔をしている。
長老格のラスタマンが、3拍めと4
拍めのスペースをシンコペートしながら跳ねまわるようにリピーターを打つ。「ドンドン、タカタカ、ドンドン、タカッタタカッタ…」マラカスや竹で作られた楽器がオーガニックな味わいを加えている。
そして厳かにチャントし始める。聴き覚えのある曲も演奏された。ザ・ウェイラーズ名義でリリースされた『Burnin’』(73年10月)に収録されている<Rasta Man Chant>だ。この曲はナイヤビンギのときに演奏する定番のトラッドなのだ。焚き火の炎が集まっていたラスタファリアンたちを照らし出す。その頃にはもう、ミステリアスなヴァイブレーションが、あたり一面を包み込んでいた。

翌朝、コミューンを出るとき、相棒が「20ジャマイカ・ドル(約2400円)、ドネーションするように」と言ったのでその通りにした。すると、ナイヤビンギのとき女性が使っていたマラカスをお土産にくれた。それから42年経ったが、マラカスはまだ家にあり、見るたびに不思議な気持ちになる。

Text & Photo by Masataka Ishida

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