ONE LOVE ボブ・マーリーの真実 Vol.2

2024年05月31日

写真と文 石田昌隆

ボブ・マーリーの曲の中でも、とりわけ心にガツンと響いたのは<No Woman, No Cry>だ。オリジナルはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(Bob Marley & The Wailers)のスタジオ録音のアルバム『Natty Dread』(74年)に収録されている。これはちょっとテンポが早くて軽い曲調だったが、『Live! At The Lyceum』(75年)で聴けるヴァージョンは、一段テンポを落としたアレンジに変えられ、キングストンのゲットー、トレンチタウン(Trenchtown)で生活していた頃の日々の様子を蕩々と歌い上げていき、訴求力が圧倒的に高まっていた。この動画は、1977年に、ロンドンのレインボー・シアターで収録されたDVDLive at the Rainbow』から<No Woman, No Cry>の部分を抜粋して、映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』が始まったことに合わせて、最新の日本語訳をつけて公開されたものだ。

<No Woman, No Cry>をレコード『Live! At The Lyceum』で初めて聴いたのは大学2年生のとき、1977年だった。音楽でこれほど感動できることがあるのかと思うほど感動した。しかし、これはどんな風景を歌っているのか、この曲はラヴ・ソングなのか、今ひとつ想像がつかなかった。ボブ・マーリーが亡くなった翌年、1982年にぼくはついにジャマイカに行くことができた。そのときに撮った写真と話である。冒頭の写真は、キングストンのダウンタウン、コロネーション・マーケットの風景である。ここを通り過ぎて北西方向に歩いて行くと、やがて人通りがまばらになってくる。そしてさらに少し歩いていった右側にトレンチタウンがあった。

ボブ・マーリーの音楽が生まれた原点であるトレンチタウンを、どうしても見てみたかったので、ひとりで歩いて行った。すると路上で突然、両足とも切断されていて車椅子に座っている男に呼び止められた。「俺はターターだ。何しに来た」
ターターことヴィンセント・フォード(Vincent “Tata” Ford)は、その非力な肢体とは裏腹に、ハンチング帽の奥から放たれる眼光が鋭利な刃物のようだった。ターターは取り巻き連中を引き連れていて親分風を吹かせていた。トレンチタウンの顔役のようである。よそ者のぼくは、トレンチタウンに来た理由を説明して、とにかく挨拶を入れるほかなかった。するとターターは「ついてこい」と言った。小さな広場を囲むように建っている長屋に案内された。共同の便所と、ガスなどない共同の台所が隣接している長屋の一室がターターの部屋だった。ターターは車椅子のまま部屋に入り、思いのほか器用に車椅子から降りた。そしてレッドストライプ・ビールを飲み始める。
「俺はボブ・マーリーの親友だったんだ」ターターは、そう言った。ぼくはどうせ、いくらでもいる自称親友のひとりだろうと思った。本当に親友だったのか、ということに興味はなかった。そんなことより、ひとつだけターターに聞いてみたいことがあった。
「<No Woman, No Cry>で歌われている焚き火はどこでやっていたのですか」と、ぼくは尋ねた。するとターターは、長屋で囲まれた目の前の広場を指した。
ぼくがターターと話していた場所は、ボブ・マーリーが少年時代をすごしていたトレンチタウンのファースト・ストリート。目の前の中庭のような広場がまさに「government yard in Trenchtown」と歌われた場所だったのだ。

No Woman, No Cry>は、トレンチタウンの広場で、ジョージー(Georgie)が焚き火を起こす。火は夜通し燃え続ける。その火でコーンミール・ポーリッジを作り、分け合って食べる。そのうちすべてが上手くいく。だから涙を見せてはいけない。ノー・ウーマン・ノー・クライ。という歌だ。
ぼくは目の前の中庭を眺めながら想像してみた。ジョージーというのは、ボブ・マーリーが少年時代にトレンチタウンに住んでいたときの年長の友人で実在する。82年の時点ではタフゴング・スタジオの使用人に雇われていて、ぼくも何度か会っていた。いつも汚れたオーバー・オールを着ていたけれど、とても人の良いおじさんだった。

ぼくは、若き日のジョージーがこの広場で焚き火を起こして、その脇にまだ少年だったボブ・マーリーが仲間たちと座っている姿を想像していた。するとターターは、こう言った。
「あの曲で歌われているのはサファラーだ。オマエに判るか!」
サファラー(sufferer)とは、『Dread Dictionary』によれば「生きるために闘っている貧しい人(a poor person struggling to survive)」という意味である。<No Woman, No Cry>は、サファラーについて歌った曲だったのだ。
このときのジャマイカ旅行から帰った4年後、86年にスティーヴン・デイヴィス著『ボブ・マーリー レゲエの伝記』の邦訳本が出版された(原著は83年)。それを読んで驚いた。ターターに関する記述があったのだ。ボブ・マーリーは、63年の初めにトレンチタウンのセカンド・ストリートにあった家を出て、ファースト・ストリートでしばらくターターと寝食を共にしていた。その頃は本当に飢えていた。そしてターターは「現在もトレンチタウンで車椅子の生活を送っている」と書いてあった。
さらに驚いたのは、レコードではクレジットはなかったのだが、後にCDで再発されたとき、<No Woman, No Cry>の作者として、ヴィンセント・フォード、つまりターターの名がクレジットされていたのである。
ターターが実際に<No Woman, No Cry>を作ったとはとても思えない。作詞作曲ともにボブ・マーリーだったと思う。しかし、99年に、ぼくはボブ・マーリーの次男、スティーヴン・マーリーにインタヴューする機会があったので、この件について聞いてみたが、はぐらかされてしまった。ボブ・マーリーが以前契約していたケイマン・ミュージックと版権の争いがあり、当時はマーリー自身の名義では版権を自由にコントロールできなかったから他人の名義を使ったという説と、マーリーが少年時代に世話になったターターの生活を助けるために印税をプレゼントしたという説があるが、真相は未だ明らかになっていない。ターター自身もこの件に関しては沈黙を守り続けて08年に亡くなった。
トレンチタウンのこの場所、ターターが住んでいたトレンチタウンの長屋、つまり若き日のボブ・マーリーが暮らしていた長屋と、長屋で囲まれた目の前の中庭は整備され、現在は、カルチャー・ヤード(Trench Town Culture Yard Museum)として公開されていて観光客が訪ねるスポットになっている。
Text & Photo by Masataka Ishida

BLOG

ONE LOVE ボブ・マーリーの真実 Vol.3

もっと見る

ONE LOVE ボブ・マーリーの真実 Vol.3

もっと見る

ONE LOVE ボブ・マーリーの真実 Vol.2

もっと見る

ONE LOVE ボブ・マーリーの真実 Vol.1

もっと見る

Little Bird True Wireless発売

もっと見る

STIR IT UP WIRELESS+GET TOGETHER DUO BLACK

もっと見る